スミレ、安らかに
スミレ、6月26日に逝ってしまいました。
前回のブログで、
咳止めシロップがとても効いたこと、
嚥下がよくなくてブレンダーを使っていること、
下半身まひが出ていること、
マッサージをしてもらおうと思っていること、
車椅子を検討していることを書きました。
車椅子については、目が見えないので
たぶん使いこなせないだろう
という結論になりました。
ならば、とにかく下半身を楽にしてあげよう、
カチカチだから
そう思って、いつもお願いしている
マッサージの先生に連絡すると
体調を崩されていて
急ぎではお願いできませんでした。
そこで私は判断ミスを犯してしまいました。
別の先生に鍼治療をお願いしたのです。
鍼治療は
・悪性腫瘍のある人
・出血性の疾患がある人
・体力のない人
などは禁忌なのです。
アビーのときの
別の獣医さんから、そう聞いておりました。
なのに、うっかり・・・
下半身まひのことばかり考えてしまいました。
鍼治療をお願いしたのは
亡くなる2日前でした。
その4時間後が夕食の時間でしたが
ぐったりして食べることができませんでした。
スミレが食べられないのは初めてのことでした。
深夜も、翌朝も、口元に運ぶも
顔を背けて食べませんでした。
これはまずいと思い、
ペーストのオヤツ系をあげると
それはペロペロしてくれました。
そして午後になってようやく、
ごはんを食べてくれました。
でも、半分だけ。
嚥下もおかしい感じでした。
そのうちコンコンと咳が出るようになり、
咳止めシロップを食べさせたのですが
吐き出してしまいました。
夜になり、ワンワンッと言っては
ぜいぜいし始めて・・・
少し寝たものの、
早朝からまたワンッと1回吠えては休み、
ワンッと言ってはコンコンと咳込み、
ずっと背中をさすったり、
ペーストを口元に持っていったりしましたが
ゼイゼイしはじめて
とうとう空気を吸えない状態になり
スーッと静かに力が抜けていきました。
あっという間でした。
鍼治療の先生を責めても仕方がありません。
私がお願いしたのですから。
それに、嚥下が困難になってきた時点で
あと1、2週間くらいかなと思っていました。
だから、鍼治療をしなくても
1か月は生きられないだろうと覚悟はしていました。
ただやっぱり、少し早めてしまったな、と。
でも考えようによっては、
下半身のカチカチ具体はほぐれて
少し自分で動かしていたので
そこはスミレ的によかったことかもしれないと。
命の終わりはコントロールできないものです。
僅かな刺激が
死期を早めてしまうことなんて
たくさんあるんだと。
しかもそれは無意識にやっていることもあるでしょう。
なので、私はくよくよしていないし、
苦しみのない最期なんてないと思っているので、
苦しい時間、ずっとそばに居れたこと、
私が想いつくすべてのことを
スミレにやってあげられたこと、
それらは、
変な言い方ですけれど
飼い主として満足できる数か月だったと思います。
スミレも私や鍼の先生を恨んではいないでしょう。
なんか、すごいタイミングなんですけど、
スミレが亡くなった翌日に
私は整体院の予約をしていました。
スミレの介護中、背中と腰がどうしようもなく痛くて
もう限界、というほど酷かったのです。
整体を受けながら、涙がこぼれてきて
スミレが楽しそうにしていたシーンを
あれこれ思い出していました。
私が鼻をすすっていたので
整体師さんが「大丈夫ですか?!」と
声をかけてくれました。
実は・・・と話すと
「昨日の今日ではまだ心の整理がつきませんね」
と一言だけ言って、
そのあとは黙々と背中と脚をもんでくれました。
その日から、腰の痛みはほとんど無くなってしまいました。
スミレが持っていってくれたのかも。
本当にイイコでした。
可愛い子でした。
世間ではそれなりのお年である9歳のときに
飼い主さん(遠い親戚)が倒れたために
うちで引き取ったのですが、
まさかそこから8年も生きてくれるなんて。
大往生だと思っています。
皆さんに「えらいねー!!すごいねー!!」と
褒められてばかりの子でした。
だから私もスミレにたくさん癒されました。
介護という形になってしまったけれど、
スミレが最期まで幸せに生きられるよう
私は結構、頑張りましたよ。
可愛い笑顔をたくさんくれたスミレに
しっかり恩返しできたかな。
できたよね。
ありがとう、スーちゃん。
☆遺跡のある公園に行ったとき
☆車でのお出掛けに慣れた頃
☆いつものお散歩コース
☆テーブルの下でおこぼれ待つとき
☆フィットネスクラブでの頑張り
☆ノーズワーク教室で
☆よく行った公園
☆新入りポコのこともすんなり受け入れ
☆たくさんのお花で飾り、送り出しました
天国でアビーと再開してね。
仲良く遊んでね。
☆黄金時代