ミーナの最後の頑張り
ミーナちゃん、6月5日未明に息を引き取りました。
闘病生活、104日間でした。
本当によく頑張りました。偉かったです。
「生きたい」気持ちがとても強いコだったと
思います。
情熱の塊、ミーナさんですから。
気が弱くておとなしいミュウやブーレだったら
もっと早く闘いを終わりにしていたと思います。
もう亡くなってはいますが、
初七日も過ぎて気持ちが落ち着きましたので、
ミーナの頑張りを記録に残したいと思います。
まず、5月下旬の話から。
前々回のブログで、白血球は正常値になったけれど
吐き気が戻ってきて元気もない、と書きました。
高いところに登る気力はあるのですが、
こんなふうに伏せてじっとしていることが増えました。
5月30日、予定していた通り通院しました。
前回の診察から8日経っていました。
CBC検査の結果は変わらず良好で、
貧血もなく、白血球が少し多めでしたが
心配するほどでもないとのこと。
血小板も問題ない範囲でした。
しかし、胃のエコー画像が・・・
胃壁は厚くなり、病変も大きくなっていました。
これを見たらもう・・・
言葉を失います。
隙間がほとんどありません。
これでは何も食べられないよ・・・
とうとうこの時が来てしまった・・・
そう思うと、涙が溢れてきました。
しかし先生から
副作用のない『L.アスパラキナーゼ』(二度目)
を投与して、
その5日後に『ニムスチン』(これは初めて)
を投与してみたいとのご提案がありました。
『L.アスパラキナーゼ』は
即効性はあるが長くは続かないため
他の抗がん剤とセットで使うことが多いのだそうです。
前回も『ロムスチン』とセットで使いました。
前回が効いたので少し期待しました。
副作用がないならば試してみる価値があると思い
同意しました。
日を開けず、
その場で点滴と抗がん剤が投与されました。
体重は、2.70kgでした。
その日の夜。
ミーナは自分のごはんをそこそこ食べた後、
志麻のお皿に近づき、
ドライフードをパクパク食べたのです。
以前、ドライフードは何度か吐いてしまっていたので
しばらくあげていませんでしたし、
隣りで志麻が食べていても興味を持ちませんでした。
それなのに、パクパクと、
おそらく5gくらいは食べたのではないかと思います。
翌日、5月31日。
もう効いてきたの?!!と思うほど
ミーナにシャキッと感が戻ってきました。
目ヂカラも少し出てきました。
そしてごはんをモリモリ食べ始めました。
食べたのは、丹波鹿肉を軽くソテーしたものです。
取り寄せたばかりでした。
パクパク食べました。
2,3時間すると
「なんか食べたいにゃー!」と
鳴きました。
とても嬉しくなりました。
あまり一度に食べると吐いてしまうかもしれないと
2,3時間おきくらいに20gずつ出しました。
ペロっと食べていました。
ぐっすり眠ることもできたようで、
お昼から夕方まではごはんの催促なく静かでした。
そして夕方5時くらいだったかな、また
2,3時間おきに深夜1時まで
少しずつ運びました。
最後は少し多めに盛って、
早朝に食べられるようにしておきました。
期待しました。
また復活できるかも!
でもこれが、最後の晩餐となったのでした。
翌、6月1日の朝。
盛り付けておいた鹿肉は
綺麗に平らげていましたが、
その後はパタリと食べなくなりました。
食べたそうにするけれど舐めるだけ。
この日は仮のお誕生日にしていたので
新しいケリケリ「またたびミネット」を
プレゼントに用意していました。
しかし、無反応でした。。。
またたびは大好きだったのに。
それどころではない様子でした。
それでも、トロトロ系のごはんを出すと
ペロぺロとなめながら5gとか3gとか
お水代わりに飲み込んでいました。
呼吸数は毎分30回でした。
正常値でした。
6月2日の朝、吐きました。
このような色の嘔吐物は初めてでした。
その後は吐きませんでしたが、
まったく元気なく、辛そうでした。
こたつに入ったり、出てきたりを繰り返していました。
私がそばにいると、病院に連れていかれると
警戒しているようでした。
31日の食欲はなんだったのだろうと
不気味に感じました。
お水はなんどか飲みに行っていました。
といっても少量でしたけれど・・・
私が動くと、こたつに隠れてしまうので
こっそりインカメラで撮りました。
ササミを軽くボイルしたところ、
煮汁だけを飲んでいました。
6月3日、朝のうちに病院に電話をし
10時に診てもらうことにしました。
4日の午後には抗がん剤が予定されていたので
このままではそれができるかどうかも不安でしたし、
せっかく31日にたくさん食べられたのだから
点滴してもらってなんとか維持したいと考えたのでした。
しかし、診察台でハッとしました。
体温を測られるとき、
いつもならイヤイヤするのですが
ミーナはまったく抵抗しなかったのです。
私はもう、治療は無理だと感じました。
まったく力が入らない様子でした。
なので、その日は点滴と、吐き気止めだけ。
血液検査もエコー検査もお願いしませんでした。
体重は2.60kg
4日くらいで100gも減っていました。
あんなに食べたのに。
先生は、
「このあと劇的に食欲が出てシッカリ食べられるようなら、
予定通り明日に抗がん剤『ニムスチン』(初めて)を
投与しましょう」
といったようなことをとおっしゃいました。
それはとても優しい言い回しでした。
つまりは、「もう厳しいですね」
ということだと理解しました。
点滴したのに、夜になってもまったく元気は出てこず、
いよいよ点滴の効果もなくなったと悟りました。
深夜になると、呼吸が荒くなってきました。
毎分50回になりました。
このまま亡くなってしまうかもしれないと
覚悟しました。
つづく。
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